水芭蕉曼陀羅の制作について
生家観音寺の庫裡客殿も250年の風雪に耐えて来ましたが、ついに数年前改築をすることになりました。仏飯により今日、絵を描き続けられるわけで、この際何か奉賛をしなくてはと考えていましたが客殿の襖絵を潤筆奉納するのが一番の供養と思い32面の襖に水芭蕉曼陀羅の水墨画を制作することにしました。思索思考を重ねて表現、5ヵ年かかり、本年追加の襖絵6面が加えられましたがずい分勉強になりました。
水芭蕉を尾瀬にみて感動した敗戦後の思いがけない出会いから30年。「水芭蕉に関する作品」いろは・・・・・48題をへて「水芭蕉曼陀羅」の大作100有余点の制作が続き、更に自由な表現と多作が出来ることを願っています。
「曼陀」とは本質、心髄、「羅」とは得るという仏教上の意のようですが水芭蕉を通じて美の本質を得ようという心意で制作をしています。水芭蕉は俗名「仏の光背」とも言われていますが、暁明の頃に見られる水芭蕉は神秘的で思わず合掌したくなります。朝陽には幼児の新鮮なやわ肌を、昼には若い女性のふくよかな肌を、夕べに仏菩薩の慈光を感受します。
制作は初期の写生風から形象化となり、スタイルに落ちこむ危険を感じ抽象的のなり今は心象的表現に進み、無限に広い深い宇宙観への入心と体験をつづけています。画面上を白と黒の色面に分割する超高速度の墨線による運筆と淡墨を何10回と重ね塗りこむ長時間を要する時間のつみ重ねにより制作が完成します。観音寺襖絵は「鳥の子紙」を使用しましたが極めて密度の高いそのものが表現されました。
制作はいつも尾瀬沼でみた水芭蕉の感動が根底にあって「水芭蕉曼陀羅」の制作活動が続いています。曼陀羅といっても表面上の形式や様式を追っているのではありません。曼陀羅の精神を体得する創造への探求と美の開眼を求めています。 |